ムールヴェードル、あるいは原産地スペインでは「マタロー」と呼ばれているこの赤ブドウは果皮が厚く、熟成が遅いブドウ品種で、最近まではあまり目立つこ とのない存在でした。むしろ品種としてはメジャーなカベルネソヴィニョンやピノ・ノワールが不足した際に、端役をやるといったワイン醸造の過程では補助的 な役割をしていました。グルナッシュやシラーなどの品種とブレンドされる時、ムールヴェードルのその濃く深い色合いとしっかりとしたタンニン、濃縮された 獣臭がワインの構造やボディを見事なまでに調和させるからです。 このようなコンビネーションのワインはシャトーヌフ デュパプ (Châteauneuf-du-Pape) などに代表されるアペラシオンのある南ローヌ渓谷によく見られますが、最近では、作り手が次々にローヌスタイルである「GMS」ワイン(グルナッシュ、シ ラー、ムールヴェードル)を生産しているオーストラリアなどでも見かけるようになりました。ローヌ渓谷のシャトー・ド・ボーカステ(Château de Beaucastel) は30%のムールヴェードルを使用するシャトーヌフデュパプとして有名です。 一方、ムールヴェードルの 土っぽい、やや匂いのきついという特徴は作り手がしばしば単一品種のワインを生産するのを断念させておりましたが、プロヴァンス地方のアペラシオン、バン ドールではムールヴェードル100%またはそれに限りなく近い割合でのワインが生産されています。ムールヴェードルはプロヴァンスのテロワールと非常に相 性が良く、バンドールは未だ正しく評価されていないこの品種のよき理解者といったとこでしょう。 アメリカでは優れた作り手が実験的にムー ベールドールを中心としたワインを生産し始めました。ワシントン州では、マクレアセラーズ(McCrea Cellars)がムールヴェードル90%、シラー10%の割合で生産したワインが批評家に称賛されています。カルフォルニアの有名なワイナリー、リッジ ヴィンヤード(Ridge Vineyards)でもまた95%の割合でムールヴェードルを使用した「マタロー(Mataro)」というワインを生産しました。 オンラインワインショップでは、ムールヴェードル種の色々なワインを購入できなす。次のは僕のおすすめです! シャトー・ブロ シャトー・レ・ムーレール 2005 シラー60% ムールヴェードル30% グルナッシュ10% レ・ヴィニョロン・ドゥ・テラッツ レ・ピエール・プラッツ・ルージュ 2006 シラー44% ムールヴェードル38% カリニャン18% シャトー・ヴァニエール・ルージュ 2004 ムールヴェードル90% グルナッシュ10%
遅ればせながら、初めてブロガーのミーティングに参加した。彼らは一昨年から毎月東京の某所で集まり、夕食を食べながらブログの世界(ブロガーが言うには 「blogoshpere」だが)やテクノロジーの進行について熱く語る。去年の初めには「blog」という言葉は殆ど知られていなかったのだが、今では意味がわからない人はいるとしても、耳にしたことがない若者はかなり少ないだろう。 僕のケースではブログする活動―つまり、自分の日常生活について、ありふれた戯言をHPで連載すること―を、1997年から散発的にやり続けてきた。当初は、もちろんアナログでやるしかなくて、テキスト編集ソフトでHTMLファイルを作成して、FTPでサーバにアップするのが常だった。しかし、現在のHP製作法とは基本的には変わらないけれど、最近出ているツールを利用すれば、文書を書く作業以外の仕事をずいぶん減らすことができるし、オタクしか構築できなかった機能もすでについているので誰だって容易に「パーソナル・パブリシング」ができるようになった。 いずれにせよ、僕がそこで会ったブロガーは一般人ではなかった。勿論、プログラマーやエンジニアは圧倒的に多かった。その他には想像していただけるようにデザイナーや撮影者も多数いた。やはり、「誰だってできる」日が来たとはいっても、実際に「する」人の種類は限られていると思う。言葉や画像を元にして、皆に閲覧してもらう綺麗な何かを作成し、自分のHP上に載せたい人がブロガーになりがちだ。 「限られている」と言えば、メンバーの国籍も意外だった。「Japan Bloggers」と名乗ったグループだけれども、それは単なる地理的な定義のようだ。なぜなら、日本人は一人もいなかったからだ。非常に国際的な集まりではあったが、「Japan」なのに日本とは何のゆかりもないのは少し変だと思った。「外人ブロガース」に改名するように提案したら怒られるのかな。いや、無視されてしまいそうだからやめよう。 まあ、それはともかく、面白くて頭のいい人達ばかりだからこれからの付き合いがちょっと楽しみだね。
久しぶりに新子安へ、今日参りました。一年で殆ど変わりなし。橋を渡りながらその風景を眺めると、「美」がどうしても見当たらない。おまけに、新子安だけでなく、この光景が品川と横浜をつなぐ地域を完全に代表するかもしれない。ともかくその印象はする。「発展」が何よりも大切に思われていた、戦後の日本で発展された光景であろに違いない。 「美」が戦争で殺されたのか、「発展」に変形されたのか、存在するゆとりが無くなったから消えたのかが不可知なものだろうけれど、俺は新子安の風景を見たら、美の再現を強く待ち焦がれる。
10年ぶりにサンディエゴを訪ねてきた。海軍の頃、4年間もその町で暮らしていた当時の沢山の様々な思い出が未だに記憶に新しい。しかしながらその思い出は必ずしも快い想い出ばかりではない。20代前半の水兵でお金も部屋もなく、古くて汚い誘導ミサイル装備巡洋艦で生活しており、その内部に深く埋められている寝台を30人の水兵と共用していた。 船上生活は過酷だった。4日毎に一度、一日中船から出て当直しなければならなかったし、仕事の制服もひどかった。 無教育の田舎者や労働者階級のヤツばかりに囲まれていたのでもちろんくつろいだ気持ちだったけれど、まるで囚人のような生活だった。 その他にも困難辛苦はあったが、その体験をもう二度と経験したいと思っていない。 兵役期間が終わったと同時に持ち物すべて車に詰め込んで、サンディエゴに別れを告げた。それは1991だった。 正直なところ、10年ぶりだというのにサンディエゴは全然恋しくなかった。南カリフォルニアにうんざりした僕にとっては、一生戻らなくても涙を流さない場所だし、そうだとすれば、なぜ戻ることになったのだろう。 たまたま兄が去年、ミシガン州からカリフォルニアに戻って、現在サンディエゴに住んでいるのだ。 一軒家も双胴船(カタマラン・ヨット)も買って、サンディエゴでの新生活にすんなりと落ち着いたようだ。 そんな兄が先週40歳になった。 2ヶ月前に彼の彼女から連絡があって、「サプライズ・パーティをやるけど、来てくれないか」と誘われた。 日本に住んでいるからあまり会う機会がないのでいいチャンスだと思った。 サンディエゴが随分変わったとは言えないけど、今回の印象はとても良かった。やはり天気は毎日晴れていたし、街の人々は親切で、ビーチは近い。それにカルチャーが著しく発展してきた現在のサンディエゴがなかなか気に入った。 兄が住んでいる付近は、今現在スラム街から高級住宅化している途中であるため多様性が高いし、面白い店などがいっぱいある。ラテン系の人々がその地域の人口の大多数を占めていて、スーパーに入ると棚に並んでいる商品の殆どが南の方から輸入されていて、どんなに考えても中身がなんだか想像もつかない。英語よりもスペイン語の方が多く聞こえてくる。どの国にいるのか解らなくなりやすい場面で、アメリカらしくない穏やかさが爽快な気分を与えている。多彩な人間に多彩な言葉、そして多彩な家々の正面がその辺りの特性を示している。 短い滞在だったが、この旅で存分に遊んだり楽しんだりできた。青空の下で帆走し、パーティを開き、ロスに遊びに行くこともあった。もちろん美味しいレストランに毎日食事に行った。最後の夜は兄とその彼女に近くの The Turf Club に連れて行ってもらった。レストランでも、バーでもないところだ。非常にシンプルなメニューが左側に多種なステーキ、右側にカクテルを紹介していた。それを見てふと迷った僕は、「フィレがうまいぞ」とニッコリとしている兄に従うことにした。 店内は60年代のラウンジの雰囲気と内装だが、部屋の真中に大きなグリルがぽつんと置いてある。そして皆がそれを囲み、自分のケバブやステーキを楽しそうに焼いているのだ。年配の常連が木製のバーカウンターに並んで、覆い被さるように前かがみながらウイスキーを飲んでいるイメージを連想させるこのラウンジが、BBQやお喋りしている若者でいっぱいになっているのが変に可笑しかった。マンハッタンをちびちび飲みつつ、レアのフィレを噛みながらその若者の笑顔を見ているのがどういうわけか楽しかった。 実際にはほとんど変わっていないだろうけれど、嫌いだったサンディエゴがこの10年ですっかり良くなったなと、そのとき思った。
今日は不思議なお花見だった。2時に集合する予定だったが、俺が早く仕事済まして、SPA!を買ってからゆっきりと現場に行くと思い、のろのろとした総武線に乗っていながら「リストラされやすい人」についてせっせと記事を読み込んだ。 相当早く駅に着いてしまったから手巻き寿司とパンを買って、花見用品(つまり、アルコール)ですし詰めのバックパックに詰め込んで井の頭公園に向かった。 前から知っているところだからまず右に曲がって人込みの無いところへ行ってみようかと。池が細くなり、曲がったところで急に左に戻っていく小道の途中で止まって、水際のあいている空間を気づいて座り込んで雑誌を読み続けながら友人を待った。 相変わらず遅刻だった。道で買った缶ビールを飲んで、周りを見ているだけで充分に楽しかったから気にしなかった。しかも、みんなの着いたときの笑顔を見たら幸せにしかなれなかった。 独りじゃ広くて居心地の良いところだったけど5人だったらちょっと無理かなと思って、近くの良さそうな、木下に人里離れた所に移った。茂みに囲まれた以外とプライベートで静かなスポットですごく良かった。(少なくとも俺はそう思った。) そこで凄く激しい風に吹かれて時間を過ごした。皆が持ってきた(思いっきり和食っぽいの)食べ物とお酒を出してがんがん食べだした。待っている間仕方なくて食べてしまったパンとチキンは無かったが、ビールと日本酒とお寿司がいっぱいあって皆徐々に満喫に向かった。M君は思った通り魚のようにがぶがぶ飲み、違う世界から皆に笑わせて続けていた。 曇った今日の太陽がが去りだしたら寒くなって、一周しようかって決めて歩き出した。その間妙に、全く偶然の出会いで歌ったり、踊ったり、飲ませたり、そして薄明光で淡くなった桜の花びらを楽しみたりしながら散歩していった。 公園から出て居酒屋に行った。創造できるように飲食しながら話し、次の出会いを決めた。日曜日に、(願わくは)いい天気の日曜日にまたピンクの世界に入り込んで楽しい時間を過ごすなが、今帰ってきた俺の今夜の楽しみだ。
金曜日に仕事が終わって新宿に新しくできたHubに行ったんだ。ある友達が毎週の金曜日に集まって飲むところで何回か誘われたが、初めて参加してみた。 The Hubというのは、まあ、「パブのチェーン店」と考えてもらっていいでしょう。安くて、ビールと油の飲食天国だからデブな英会話教師が大好きらしい。 けれど友達と話して、可愛い新入社員と愛想よく談笑しながら不味いハウスワインをちびりちびり飲み続けることで楽しい時間を過ごしてた。 やがて扉が開き、デカイ白人が入ってきた。顔を見たら誰だか直ぐ分かった。「ノイマンだ」と思って、すぐ話し掛けようと決めた。 ノイマンってしてる?「ここが変だよ」によく出ている、ややうるさいドイツ人だ。でも彼と初めての出会った場所は、書店だった。その時、彼が書いた本が目に入り、「イケテない日本」のタイトルを読むだけで買ってしまった。外国人が日本語で書く本には相当な関心があるんで仕方なかった。 「すみません、ちょっといいですか」と手招きしながら言ったら、怪訝な表情をして近寄ってきた。 「本を読みました。面白かったです。」と言ったらノイマンが明るく微笑み、「日本語読めるんですか…」と答えて、感想を聞いた。 本についての、私の印象を聞いてから「実は彼女が書き直してくれたんだ」と、一緒に来店したきれいな女性を示して明かした。(実はそうだろうと思ったが…) 何はともあれ、文書から見るとあんまりキツイ日本の批評家にして、意外と優しくて、印象のいい人だった。もし機会だあればいろんな話を聞かせてもらいたいな。
GWの金曜日なのに一日中仕事。それはまさに独立で働く楽しみの一つだ。終わったら自転車に乗って、友人との約束を守るために赤坂の険しい丘を挑んで原宿へ向かう。Aux Bacchanalesに着いたらテーブルを待ち、周りに目をやった。相変わらずマルチ文化的な連中が外にも中に散らばっていて、何ヶ国語の言語が耳元に競い合ってくる。オードブルの盛り合わせと白ワインをエンジョイしながら友達を待った。 間違いなく、確かに、必ず遅刻する彼が30分も遅れて来たのは驚くに値しなかった。いつものとおり荒い呼吸をしていて、間に合うように走ってきた振りをしていたが、僕が、彼がタクシーから降りた姿を見たことを知らなかったのだろうが。 「やあ、マイケル。元気かい?」と彼はさっと辺りの様子を見渡しながら言って腰を下ろした。 「まあ、天気がよくて、美人が次々と通り過ぎているカフェでワインとチーズをエンジョイしてることって、オレ的にぴったりさ」と完全に満足しているように答えた。 「よかったな」と言って、ウェイターを呼んだ。 ステーキと「フレンチ」フライを頼むと、すぐに運ばれてきた。僕は一回そこの「ステーキ」を挑戦したのだけど、食べ終わってから三時間ぐらい後悔した。肉と油の列車にひき殺されるように感じたからだ。あの肉を未だに消化し切らず身体のどこかで持ち歩いているのは確実だ。 しかし彼が活気に溢れて食べ出す姿を見たら自分の経験を伝えることができなかった。八つ裂きにされ口に詰め込まれていくその肉を見たら、一生彼の身体から消え去らないだろうと思って、少し哀れんだ。(ステーキの宿命をね。) しばらく雑談した後友人と別れて家に向かった。途中でNARUというジャズバーの前を通ったら、思い付きで一杯やって帰ることにした。 狭い階段を下りて店に入った。満席の様だったが、奥の空いている席へ可愛い女の子に誘導してもらった。テーブルにつくと隣に座っている二人のオヤジが小さくない声で「ほら!ガイジンだ!」とばかげたことを言った。注意を払わず座ってワインを頼んだ。 女性二人が演奏していた。ピアノとボーカルだけだったが綺麗なバラードなどを歌った。なのに、隣のアホらはず~っとおしゃべりしていたのだ。「ウマイっすね!いいな~。ね!」など途切れなくしゃべりつづけた。それでよせばいいのに曲の特に静かなところでは次のような話をし始めた。「さ~、そろそろ帰ろうかな?」とか「腹減ったな~」など。そして曲が終わったら、(たぶんあるガイジンを感動させるために)「イェアー」や「ワオー!」を必ず言った。 「もう最悪、この野郎!」とキレそうになった時、後方から新しい音が立てられてきた。「今さらなに?」と思って、しばらく耳を傾けた。舌鼓だった。おまけにどんどん激しくなった!まるでポークリブをしゃぶってるように聞こえた。思わず自分の足元を見て、その辺から血が流れてきてないことを確かめた。 それだけだったら耐えられただろうが、ちょうどその時に違う方からジッポーを持っている人がカチャンカチャンと遊び始めた。火を付ける訳でもなく、何回も、何回も繰り返した。 おしゃべりと舌鼓とジッポー。あたかも無作法なシンフォニーに流されてしまったかのように感じたマイケル。思わずに立ち上がり、適当なお金をバーテンダーに投げ、自分の絶叫だけ残して涼しい夜の空気に逃げ込み振り向かず家まで走って帰った。